椿絵コレクション-その由来#3


UNPEL GALLERYでは、2020年12月オープン以来、ギャラリーを運営する、あいおいニッセイ同和損保が所蔵する「椿絵コレクション」の展覧会を毎年開催しています。

前回は「椿」が社花の様に扱われたこと、また社内の調度として五味悌四郎画伯の静物画が数多く用いられたことをお伝えしました。今回は現在皆さまにご覧いただいている椿をテーマとした多種多様な絵画工芸品がどのように集まってきたかについてお話していきます。

椿をテーマとした絵画、美術品を購入するといっても当時の会社に専門家がいるわけでありません。コレクションとして優品を選び体系的に購入するには専門家の助言が不可欠でした。

そこで会社は反町茂作と交流のあった日本橋の美術商、瀬津雅陶堂に作品の選定、購入を依頼しました。瀬津雅陶堂の初代当主 瀬津伊之助氏は北大路魯山人の下で商売を覚えその後独立したといわれていますが、反町茂作も焼き物の蒐集を通じ魯山人と親交があり、作品をもとめたり、氏が主宰する星が丘茶寮(会員制料亭)に出入りしていました。そのような縁から瀬津氏とも交流が始まったようです。

実際にコレクションの蒐集に力を貸したのは二代目当主 瀬津巌氏。当時、書画を扱う業界の中では「椿は咲いたまま花びらが散らずに花が落ちる、斬首を想像させ縁起が悪い」という俗説*もあり必ずしも椿をテーマとした作品が数多く流通しているわけではなかったようです。しかし五味画伯の絵を調度用に数多く購入したことが「あの会社は椿の作品を集めているようだ」と評判になり、各方面から瀬津氏の下へ「こんな椿の作品がある」との情報が集まり、現在では手に入らないような作品も入手することができました。コレクションとしての作品購入は昭和52年から昭和63年頃までの約10年間で行われその数は150点以上に及びます。江戸時代から近現代までの日本画、洋画、陶磁器、漆器、金工等に渡る多種多様な作品を蒐集できたことはこのような信頼の厚い専門家の助言なしでは達成できなかったといえます。

瀬津巌氏(左)

ここで少し、椿が絵画や工芸品等美術の対象となった歴史に触れておきましょう。

椿という植物は古来広く自生分布していて、世界的には日本の本州青森を北限に朝鮮半島の一部、中国の中部以南、フィリピンからインドネシアの島々に及びます。その主な用途は、樹は木材、また木炭などの燃料として、その実からは油を取り、燃料、食用、化粧用に使われてきました。現在の様に観賞用として愛でられるのは珍しく日本をはじめとしたごく一部だったようです。わが国で椿鑑賞が広がり定着したきっかけは、江戸時代はじめ世の中も安定し庶民にも経済的な余裕が生まれことから空前の椿園芸ブームが沸き起こったことがきっかけと言われています。椿は別種との交配によって花の色や形に変異が生じやすく、たくさんの珍しい種類が生まれる特徴があったことが人々の興味をひいたようです。また椿は常緑樹として寒さに耐え雪の中でも花を咲かせることから松・竹・梅と並び、吉祥の象徴ともされました。このようなことから美術の世界でも椿をテーマとした作品が数多く生まれていきました。コレクションの中にも桃山時代、江戸時代に制作された作品があります。

*椿の樹は緻密で堅く均質であることから用材として古代から用いられてきました(福井県鳥浜貝塚からは縄文時代とみられる椿材製の櫛が出土しています)また椿には霊力が備わるともされ、古くは奈良の正倉院に椿杖が伝わっていますが、椿は邪気を払うとして卯杖として神事にも使用されてきました。

古代から人々は、常緑のつややかな葉を持ち寒さの厳しい中でも花を咲かすこの植物に生命力を感じこれを珍重してきた歴史があり、首が落ちるとしたのは後の俗信とも考えられます。

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