花残り-大学日本画展@UNPEL Ⅴ 【終了】1080 イチゼロハチゼロ - 九州産業大学 日本画在学生+展 上田 裕実子 / 古賀 雄大 / 瀬口 真梨奈 / 廣門 愛由 / 渡辺 知聡

花残り-大学日本画展@UNPEL Ⅴ 【終了】1080 イチゼロハチゼロ - 九州産業大学 日本画在学生+展 上田 裕実子 / 古賀 雄大 / 瀬口 真梨奈 / 廣門 愛由 / 渡辺 知聡

花残り-大学日本画展@UNPEL Ⅴ 【終了】1080 イチゼロハチゼロ - 九州産業大学 日本画在学生+展 上田 裕実子 / 古賀 雄大 / 瀬口 真梨奈 / 廣門 愛由 / 渡辺 知聡

上田 裕実子/古賀 雄大/瀬口 真梨奈/

廣門 愛由/渡辺 知聡

九州産業大学 芸術学部 日本画の在学生を中心とした展覧会『1080イチゼロハチゼロ』を開催いたします。

展覧会名は、福岡県に位置する九州産業大学からアンペルギャラリーまでの距離1080㎞に由来していますが、こうして数字にあらわすと、あらためて東京までの距離間を認識させられます。 九州産業大学の日本画は毎年1学年10人前後という学生数ではありますが、その中でも特に作家志望の強い学生を選抜し、そこに卒業生を加えた5人で、今展の準備を進めてまいりました。 東京から1000㎞以上離れた地で生まれた表現を是非ご高覧いただければ幸いです。

UNPEL GALLERY

昨年12 月、東京 日本橋にオープンいたしました「UNPEL GALLERY」では、運営母体である「あいおいニッセイ同和損保」のメセナ活動の一環として本年2月から5月までの間、全国の大学、美術大学で日本画を学ぶ学生の展覧会を開催いたします。
この活動は、さらなる「文化芸術振興」を目指し、若手の日本画家を対象とした発表の場の提供、また地域大学の卒業作品展示や各地域と連動した企画の実施により「地方創生」を推進するギャラリー開設の主旨によるものです。

展示作品

上田 裕実子「ステージはやがて」

上田 裕実子「ステージはやがて」

200号(162×324㎝)

高知麻紙 水干絵具 岩絵具 アクリル絵具 

人間が成長する姿には美しさがあります。今回、『ステージはやがて』という作品において、二人の役者が舞台の公演で回を重ねるごとに成長を遂げていく様を描きました。この二人は、実在の人物を元にして描いています。 

絵巻物などで見られるように、古典表現では右から左へ物語が流れるように展開されることがありますが、今回はその形態を踏襲しながら画面構成を行いました。画面の右から左に進むにつれて二人の演技が徐々に上手くなり、役者としてステップアップしていく様子を描いています。また、画面下部の顔の連なりは、二人の様子を多様な態度で見守る観客です。 

人の格好良さを特に感じるのは、他者の成長していく姿を実感できたときです。成長することで周囲の見る目が変化し、影響力が大きくなっていきます。時には、身近に感じていた存在が遠くに飛び立って行ったように感じ、感傷に浸ってしまうこともありますが、何かを達成し、羽ばたく姿には美しさを感じ、尊敬の念すら生まれてきます。人の成長は第三者があってこそ、大きな意味を持つのかもしれません。このような理由から、 出品作 『ステージはやがて』では、私自身ではない、二人の役者をモデルとして描き、観客も含めた舞台設定になっています。 

しかし、描き進めていくうちに、実際にこの二人と観客がどこまで心を通わせていたのだろうという疑問も生まれてきました。本当に感動や一体感は生まれているのか?なぜ共鳴し合えていると思い込むことができるのか?そう考えるとき、人間がいかに孤独であるかを感じたのです。あえて瞬間的で表面的なものを懸命に愛で、その孤独を必死に打ち消そうとしているのかもしれません。 

私は、人間に宿る普遍的な感情を肯定的に捉え、それを軸とした絵をこれからも描いてゆきたいと思います。それぞれの孤独と対峙しながら成長を遂げてゆく人間への愛おしさに昇華してゆくために。 

渡辺 知聡「家路」

渡辺 知聡「家路」

P150号(162×227.3㎝)

高知麻紙 水干絵具 岩絵具 

私は、”植物の楽園”を描いています。 

アスファルトやコンクリートの隙間から生えてきた植物たちは、一見狭い場所で辛そうに生きているようにみえます。まさかこんなところから生えてくるのかと、驚かされることもしばしば。しかし、実はこれは植物にとって、光や水を独り占めすることができる最高の環境なのです。 

植物は、光合成によって養分を得ています。成長していく上で、水と日光と通気の良い場所が不可欠です。出来る限り、多くの面積で日光を浴びる必要があります。広い土地では、他の植物と日光の取り合いになってしまいます。しかし、隙間などの狭い場所は、日光だけでなく、水分も十分に得ることができ、更に、人に踏み潰されることも少ないという利点があるのです。私達が住む場所を選ぶように、植物たちも、成長する場所を選んでいるように感じます。 

『住処』では、私たち人間が暮らすために必要な配管と、その配管を支柱としてツルを伸ばす植物、さらに、窓の柵や室外機を覆い被さるように生える植物たちを描いています。その様な空間を私たち人間の視点からみてみると、長い間放置され、荒れ果てた空間だと感じます。また、見る人によっては、その植物を「雑草」と呼んだり、「邪魔な存在」だと思うこともあります。しかし、植物にとっては、そこは、成長していく上で自ら選んだ楽園のような場所であるかもしれないのです。 

人間にとって何気ない場所や、荒廃していくかのように見えても、視点を変えるとそこには植物たちの楽園が広がっています。私はこのような作品を描くことで、植物との共生を感じています。 

古賀 雄大「懊悩」

古賀 雄大「懊悩」

F40号(100×80.3cm)

高知麻紙 墨 水干絵具 岩絵具

私は脆弱で臆病で身勝手な人間である。常に様々な不安が付き纏う。そのような現実から目を背けて生きている。しかし、逃げたいと思うと同時に、それらを全て受け入れ、心から愛してあげたいとも強く願う。私は現実と理想の狭間で揺れる自身の姿を描く。 

私は私からは逃げることができない。好きであれ嫌いであれ、死ぬまで向き合っていかなければならない。作品を通して様々な感情を吐き出し、自身の脆弱な部分と向き合いたい。絵を描くことでしかそうすることができない。 

作品の中の人物は私であって、私ではない。時には感情を代弁してくれるものであり、時には「このようになりたい」という希望を投影した私自身の分身である。制作を行う中で、稀に自身と絵の境界が曖昧になる瞬間が存在する。その瞬間がとても好きだ。その瞬間を生んでくれる作品は私にとっての救いである。 

現実と理想の折り合いがつけられない。作品を通してそんな私を見つめ直し、受け入れ、救ってあげたい。そのためにも私は絵を描き続ける。 

廣門 愛由「囁き」

廣門 愛由「囁き」

S60号(130×130㎝)

高知麻紙 銀箔 水干絵具 岩絵具 

魚や肉などを食すときや環境について考えたとき、しばしば繋がりあう命を感じることがあります。その食物連鎖や、共生関係を辿っていくと、多くの生き物の繋がりの中に自分が生かされていることに気づきます。もしかしたら、生き物達の命が痕跡のようなものになって私の身体に刻まれているのかもしれない、などと感じるのです。単純に生物多様性という言葉だけで終わらせたくないこの感覚を視覚化するため〝命の繋がり“を主題に絵画制作をしています。 

制作において、コンセプト云々よりも生き物を見たときに湧き上がる「この子を描きたい!」という衝動の強さを大切にしており、今出品作『囁き』で描いているイグアナもそうした出発点から始まっています。 

命の繋がりを具現化するため、イグアナのもつ造形や表皮の力強さ、瞳の美しさを微生物などから着想を得た形や色彩で描きました。 

イグアナは主に植物を食べますが、植物が育つには微生物や昆虫の働きでできた土壌の栄養分が欠かせません。 

ひとつの個体の中にも多くの繋がりが存在していることを表現しています。 

目には見えないけれど、私の身体にも確かに刻まれている命の痕跡、その繋がりを絵画として視覚化することは、自身の存在確認にも繋がっているのかもしれません。 

瀬口 真梨奈「メタモルフォーゼ~針のむしろ~」

瀬口 真梨奈「メタモルフォーゼ~針のむしろ~」

M120号(194×97㎝)

鳥の子紙 朱 水干絵具 岩絵具 

幼い頃、魔法少女に憧れていた私は、アニメなどで表現される変身シーンを引用した 自画像を描いています。今回出品している『メタモルフォーゼ~針のむしろ~』では、ストレスの中で奮闘しながら、あらゆることから逃げ出したくなる弱い自分から脱却し、何者かに変身しようとする様を描きました。 

2020年、世間を騒がせているコロナウイルスは、私達の生活に大きな影響を与えました。特に私に大きく降りかかったのは「自粛ストレス」であり、それまで放置していた、家族関係の問題が浮き彫りになりました。その期間を乗り越えようとする中で、人と人との距離感についてこれまで以上に思案することができました。今回、そのようなストレスの中で葛藤している自分の姿を絵にしようと考えました。 

私にはストレスを感じると頭を掻く癖があります。痒くなる頭に思わず爪を立てると、次は鋭い痛みに襲われ、驚きます。その後、なんとも言えない虚しさを味わうという流れが、馬鹿らしくも、毎回のようにあります。 

作中では、ストレスが纏わり付く不快な感覚を、暴発した髪の毛を描き込んでいくことで表現しました。怒りや不安といった感情がこの髪色や形に反映されているのかもしれません。 

また、それらが積み重なったり、消えて行ったりする様をテトリスで表現しています。 

魔法少女に憧れていた私は、今でも何者かになりたいと思い続けています。ストレスと奮闘する中で生まれる葛藤こそ私という存在であり、その中で藻掻きながらも変化しようとする自分自身の姿を、変身シーンになぞらえて描いています。 

作家

渡辺知聡(わたなべ ちさと)

渡辺知聡(わたなべ ちさと)

私は、”植物の楽園”を描いています。

アスファルトやコンクリートの隙間から生えてきた植物たちは、一見狭い場所で辛そうに生きているようにみえます。まさかこんなところから生えてくるのかと、驚かされることもしばしば。しかし、実はこれは植物にとって、光や水を独り占めすることができる最高の環境なのです。

植物は、光合成によって養分を得ています。成長していく上で、水と日光と通気の良い場所が不可欠です。出来る限り、多くの面積で日光を浴びる必要があります。広い土地では、他の植物と日光の取り合いになってしまいます。しかし、隙間などの狭い場所は、日光だけでなく、水分も十分に得ることができ、更に、人に踏み潰されることも少ないという利点があるのです。私達が住む場所を選ぶように、植物たちも、成長する場所を選んでいるように感じます。

『住処』では、私たち人間が暮らすために必要な配管と、その配管を支柱としてツルを伸ばす植物、さらに、窓の柵や室外機を覆い被さるように生える植物たちを描いています。その様な空間を私たち人間の視点からみてみると、長い間放置され、荒れ果てた空間だと感じます。また、見る人によっては、その植物を「雑草」と呼んだり、「邪魔な存在」だと思うこともあります。しかし、植物にとっては、そこは、成長していく上で自ら選んだ楽園のような場所であるかもしれないのです。

人間にとって何気ない場所や、荒廃していくかのように見えても、視点を変えるとそこには植物たちの楽園が広がっています。私はこのような作品を描くことで、植物との共生を感じています。

廣門愛由(ひろかど あゆ)

廣門愛由(ひろかど あゆ)

魚や肉などを食すときや環境について考えたとき、しばしば繋がりあう命を感じることがあります。その食物連鎖や、共生関係を辿っていくと、多くの生き物の繋がりの中に自分が生かされていることに気づきます。もしかしたら、生き物達の命が痕跡のようなものになって私の身体に刻まれているのかもしれない、などと感じるのです。単純に生物多様性という言葉だけで終わらせたくないこの感覚を視覚化するため〝命の繋がり“を主題に絵画制作をしています。

制作において、コンセプト云々よりも生き物を見たときに湧き上がる「この子を描きたい!」という衝動の強さを大切にしており、今出品作『囁き』で描いているイグアナもそうした出発点から始まっています。

命の繋がりを具現化するため、イグアナのもつ造形や表皮の力強さ、瞳の美しさを微生物などから着想を得た形や色彩で描きました。

イグアナは主に植物を食べますが、植物が育つには微生物や昆虫の働きでできた土壌の栄養分が欠かせません。

ひとつの個体の中にも多くの繋がりが存在していることを表現しています。

目には見えないけれど、私の身体にも確かに刻まれている命の痕跡、その繋がりを絵画として視覚化することは、自身の存在確認にも繋がっているのかもしれません。

上田裕実子(うえだ ゆみこ)

上田裕実子(うえだ ゆみこ)

人間が成長する姿には美しさがあります。今回、『ステージはやがて』という作品において、二人の役者が舞台の公演で回を重ねるごとに成長を遂げていく様を描きました。この二人は、実在の人物を元にして描いています。

絵巻物などで見られるように、古典表現では右から左へ物語が流れるように展開されることがありますが、今回はその形態を踏襲しながら画面構成を行いました。画面の右から左に進むにつれて二人の演技が徐々に上手くなり、役者としてステップアップしていく様子を描いています。また、画面下部の顔の連なりは、二人の様子を多様な態度で見守る観客です。

人の格好良さを特に感じるのは、他者の成長していく姿を実感できたときです。成長することで周囲の見る目が変化し、影響力が大きくなっていきます。時には、身近に感じていた存在が遠くに飛び立って行ったように感じ、感傷に浸ってしまうこともありますが、何かを達成し、羽ばたく姿には美しさを感じ、尊敬の念すら生まれてきます。人の成長は第三者があってこそ、大きな意味を持つのかもしれません。このような理由から、出品作『ステージはやがて』では、私自身ではない、二人の役者をモデルとして描き、観客も含めた舞台設定になっています。

しかし、描き進めていくうちに、実際にこの二人と観客がどこまで心を通わせていたのだろうという疑問も生まれてきました。本当に感動や一体感は生まれているのか?なぜ共鳴し合えていると思い込むことができるのか?そう考えるとき、人間がいかに孤独であるかを感じたのです。あえて瞬間的で表面的なものを懸命に愛で、その孤独を必死に打ち消そうとしているのかもしれません。

私は、人間に宿る普遍的な感情を肯定的に捉え、それを軸とした絵をこれからも描いてゆきたいと思います。それぞれの孤独と対峙しながら成長を遂げてゆく人間への愛おしさに昇華してゆくために。

古賀雄大(こが ゆうだい)

古賀雄大(こが ゆうだい)

私は脆弱で臆病で身勝手な人間である。常に様々な不安が付き纏う。そのような現実から目を背けて生きている。しかし、逃げたいと思うと同時に、それらを全て受け入れ、心から愛してあげたいとも強く願う。私は現実と理想の狭間で揺れる自身の姿を描く。

私は私からは逃げることができない。好きであれ嫌いであれ、死ぬまで向き合っていかなければならない。作品を通して様々な感情を吐き出し、自身の脆弱な部分と向き合いたい。絵を描くことでしかそうすることができない。

作品の中の人物は私であって、私ではない。時には感情を代弁してくれるものであり、時には「このようになりたい」という希望を投影した私自身の分身である。制作を行う中で、稀に自身と絵の境界が曖昧になる瞬間が存在する。その瞬間がとても好きだ。その瞬間を生んでくれる作品は私にとっての救いである。

現実と理想の折り合いがつけられない。作品を通してそんな私を見つめ直し、受け入れ、救ってあげたい。そのためにも私は絵を描き続ける。

瀬口真梨奈(せぐち まりな)

瀬口真梨奈(せぐち まりな)

幼い頃、魔法少女に憧れていた私は、アニメなどで表現される変身シーンを引用した自画像を描いています。今回出品している『メタモルフォーゼ~針のむしろ~』では、ストレスの中で奮闘しながら、あらゆることから逃げ出したくなる弱い自分から脱却し、何者かに変身しようとする様を描きました。

2020年、世間を騒がせているコロナウイルスは、私達の生活に大きな影響を与えました。特に私に大きく降りかかったのは「自粛ストレス」であり、それまで放置していた、家族関係の問題が浮き彫りになりました。その期間を乗り越えようとする中で、人と人との距離感についてこれまで以上に思案することができました。今回、そのようなストレスの中で葛藤している自分の姿を絵にしようと考えました。

私にはストレスを感じると頭を掻く癖があります。痒くなる頭に思わず爪を立てると、次は鋭い痛みに襲われ、驚きます。その後、なんとも言えない虚しさを味わうという流れが、馬鹿らしくも、毎回のようにあります。

作中では、ストレスが纏わり付く不快な感覚を、暴発した髪の毛を描き込んでいくことで表現しました。怒りや不安といった感情がこの髪色や形に反映されているのかもしれません。

また、それらが積み重なったり、消えて行ったりする様をテトリスで表現しています。

魔法少女に憧れていた私は、今でも何者かになりたいと思い続けています。ストレスと奮闘する中で生まれる葛藤こそ私という存在であり、その中で藻掻きながらも変化しようとする自分自身の姿を、変身シーンになぞらえて描いています。

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UNPEL GALLERYの外観